今年2月、ウォノがディスパッチに独占告白
Dispatchがウォノに会った2月、彼は過去の論争で自粛中であり、当時はまだ警察が2013年のマリファナ使用容疑を捜査中だった。
はい、その通りです。過去(の過ち)を認めます。私は愚かでした・・・2度とそのように生きないよう努力して来たが、メンバーだけ、グループだけ、ファンのことばかりを考えていました。
そう語りながら、それでも誤解だと否定したのは、マリファナ使用に関することだった。
私はマリファナはしていません。今はまだ警察が捜査中ですが、私の潔白が証明されたなら、その時は必ず僕の話を掲載して下さい。謝りたいし、誤解を解きたいのです。許しを請いたい。
そして警察は今月10日、ウォノに対する容疑を「嫌疑なし」とした。大麻喫煙容疑を捜査した結果、容疑が見つからないとして、捜査を終結した。
<ウォノのインタビュー内容>
「あの時代、僕は不幸でした。」京畿道にある賃貸マンション、そこで祖母、父、母、弟と生活していた当時、うちは貧しかった。
20歳まで小さな賃貸アパートに住んでいました。おばあさんが部屋を使って、父、母、弟、僕らはリビングで食べて、寝ていました。当時はそれが貧乏だとは知りませんでした。
小学校に入った頃、友達に上手く馴染めず、いじめも繰り返された。ウォノは当時、臆病な少年だった。
ある日は「汚い」と、からかわれ、ある日は「退屈だ」と苦しめられました。同級生たちは僕が嫌いでした。実は思い出したくない、1番の記憶です。一言で言えば「イジメ」でした。
もちろん、家でも幸せなことはなく、両親はお金のせいで毎日けんかをし、ウォノは次第に外で過ごす時間の方が多くなっていった・・・その後、街で見知らぬ年上の男性と知り合うようになる。
家も楽ではありませんでした。両親がよくケンカをするので、毎日外で時間をつぶしていました・・・それで偶然、知り合ったお兄さんとツルむようになりました。
それからは「嫌がらせ」を受けることはなくなり、いや、むしろ周囲が自身を避けるようになる。
ある日、それまで僕をイジメていた同級生と階段でぶつかったんです。僕はギクリとしました。でも、その友達から先に「ホソク、ごめん」と謝られたんです・・・急に調子に乗りました。そんなのは、ダメだったのに・・・そうやって僕は「イジメ」から抜け出した、でも幸せではありませんでした。状況は相変わらずで、不和は続いた。そしてとうとう、性格まで悲観的に変わってしまった。
そして、高校生の頃
あの日、両親がケンカをしていて、急に息が詰まって、もう(家では)希望は見えなかったんです。何も考えず、家を飛び出しました・・・その時は家族の大切さを知らなかったのです。
しかし家の外は、もっと危険だった・・・ 新しい友達と交わったことで、してはいけないことに巻き込まれた。 一部の友達は特殊窃盗の疑いで少年院へ行ったし、自身も保護観察処分を受けた。
友達を恨みたくはありません。それもまた、僕の選択だったから・・・ 言い訳のように聞こえるでしょうが、成熟していませんでした。僕のせいです、不覚です。 申し訳ない。
<その後、ウォノには夢ができた>
苦しかった生活、その後、チョン・ダウンと知り合ったウォノ、高校2年のときを回想した。
僕たちはすぐに親しくなりました。一緒にフィッティングモデルもやりました。ダウンが助けてくれました。僕が歌手を夢見れるよう、たくさん応援してくれました。
それまで現実を恨んでばかりだったウォノは、それを乗り越え、覚醒した。
狂ったように練習する友達を見ました。みな「夢」というのを見ていました。恥ずかしかったです・・・僕は人を恨んで生きていたから、その時に約束をしました。もうこれ以上、人生を無駄にしない、と
ウォノはそれから昼夜問わず、練習した。暇さえあれば事務所の廊下や階段でだって練習した。1人だけの練習場が必要だったから。
練習生の同期たちと一晩中、踊って歌を歌いました。大変ではなかったです。「僕にも未来がある」という、希望が生まれたからです。幸せでした、団体生活もとても良かったです。4年間、多くのことを学びました。
ファンから受けた「愛」で変わる
<MONSTA Xとしてデビュー>
2015年、ウォノは「MONSTA X」としてデビューした。国内で12枚のアルバムを出し、米国や欧州、アジアでも活躍し、成果が実を結んだ。米国「ビルボード」ポップソングズ39位(2019年)にもランクインしたことがあり、これはK-POP史上、3番目の快挙だった。
2019年、ウォノは未来に向かって走っていた。しかしある瞬間、過去が彼の足を引っ張った。
借金と、過去の保護観察の前歴が明らかになったのだ、さらに警察は、2013年のマリファナ使用容疑で内偵捜査を始めていた。
私の過ちもあり、そして、誤解もあります。もちろん、取り返しのつかないことだと知っています。 私と同じような環境に置かれたからといって、みなが道を間違うわけではないからです。保護観察を受けた時、大いに反省しました。
ウォノは言い訳をしなかった。過去の過ちを認め、何度も重ねて「申し訳ない」と述べた。ただし、大麻の疑いについては、強く否定した。
けして麻薬類には手を出さなかった。
と
僕の過去の問題は認めます。しかし、違うものは違います。大麻は絶対にしていませんでした。警察でも、この部分を明白に説明しました。
<メンバーとファンを傷つけたくなかった>
ウォノは昨年10月、MONSTA Xを脱退した。
本当に頑張ってニューアルバムを準備しました。MONSTA Xが壊れるのがとても嫌でした。私が1日でも早く脱退するのが、グループの生きる道だと思いました。最大限、被害を防ぎたかったのです。
もう1つ、彼の決心の裏には「モンベベ」への気持ちがあった。
自信を持って言えます。モンベベに会ってから、僕はすっかり変わりました。「愛される」ということが、どんな感じなのか、分かるようになりました。 日々を、もっと楽しく生きたいと思いました。
彼はデビュー以降、わき目もふらず働いた。彼の日の大半は「作業」「運動」「ファンとの交流」に費やされた。実際、海外ツアーの間でも、3、4時間ファンとライブ放送をして話していたほどだ。
実は、あんなに温かい感情を初めて感じたんです。 だからこそ、失望させたくはなかった。ファンの皆さんが好む仕事ばかりをしたかったんです。「愛」をお返ししたかった。
それでも、突然、浮かび上がった過去の問題に「脱退しかない」という結論を下した。それがファンの苦痛を少しでも和らげる方法だと考えたからだ。
ファンと約束したことが多いです。「いつもそばにいる」って言ったのに・・・こんなやり方で去るしかなくて、ごめんなさい。僕もファンたちだけを見ていたのに・・・でも、こうするしかなかった。
かつては「イ・ホソク」として、現在は「ウォノ」として生きて来ました。ホソクがしたことなので、ウォノには責任がないでしょうか?いや、僕が背負わなければなりません。
ウォノは騒動以降、しばらく外出をしていなかった。周辺に被害が及ぶため、息を殺して過ごして来た。そして、先日、大麻容疑を晴らした。ウォノは
せめてもの救いです。
と答えた。
今でもファンを忘れられません。むしろ後悔だけが残ります。「もう少し頑張ればよかった」という未練?
「ただ申し訳ない」と言いたくて、このインタビューに出ました。
僕のような人間のせいで、メンバーが傷つく。メンバーは僕とは関係ない。MONSTA Xの力になってほしい。
その言葉だけを残し、彼は(インタビューを終えて)立ち去った。