パク・ジェボム(元2PM)米国から韓国へ「練習生生活でカルチャーショックだったこと」過去インタビュー

JYPで練習生時期を過ごしたジェボム

ジェボムの練習生時代を振り返った米国の過去インタビュー

2008年にJYPエンターテインメントからデビューしたボーイズグループ「2PM」の元メンバーで、現在は自身のレーベルを立ち上げ、多彩な音楽活動を続けているパク・ジェボムについて、2017年頃に米国で受けたインタビュー内容が、再び話題になっています。

米国でのインタビュー 2017年(抜粋)

<シアトルで韓国人移民である両親の元に生まれた、パク・ジェボム>

アジア系アメリカ人である僕は、常に周りの人を眺め、自身の立場を確立するために、戦わなければならなかった。

<現在はレーベルを持ち、CEOにまでなった彼だが、これまでの道のりは容易ではなかった>

(多くのアジア系家庭でそうあるように、彼の母も医者や弁護士になることを望んだ)

そうはなれなかったですね、僕は学校にも行かず、ブレイクダンスばかりしていました。ヒップホップにも興味を持ち、ラップを始めるように。

<幸いにも、彼の母は音楽へ進む道を認め、地元でのオーディション参加を勧めてくれた。それが、K-POP最大手の1つ、JYP主催のオーディションだった>

大きな期待もしていなかったので(当時17歳)、オーディション会場をすぐ去ったが、合格。

そして、練習生として韓国へ行くことに、僕は「(デビューまで)2年ぐらいだろう」と考えていて、「これで家族を助けることができるな」と思っていました。当時、うちは電気料金・水道料金さえ払うことができない家庭事情だったのです。

<JYPの練習生としてソウルへ>

ソウルでの新生活は苦しかった。今は韓国語を流暢に話せるが、当時の語学力は初心者レベルだった。

全然(辛さを)分かってなかったです。シアトルでの生活を諦めてする生活が、あんなに辛いとは・・・

「練習生制度の過酷さ」「食べ物(口に合わなかった)」そして、何よりも練習生システムが「カルチャーショック」そのものでした。僕にとっては、それまで(音楽は)趣味であり、楽しいことだったけど、練習生にとって「練習」とは仕事でもあるので、練習生は朝10時~夜10時まで、練習しなければなりません。

最もショックだったのは「体罰文化」でした。歌詞や振り付けを間違えただけで、文字通り叩かれた。もちろん、今はそうではないけど、あの当時は「動作」を間違えたという理由だけで、ひどい悪口を言われたりもした。僕はダンスが上手かったので殴られることはなかったけど、隣の子が間違えて、お尻を叩かれているのを見ると、心の中で「オーマイガー!」と思っていた。

<この当時、パク・ジェボムは慣れない韓国での生活の辛さ・不平をSNSに攻撃的な言葉で投稿しており、その内容がデビュー後に物議となった>

「体罰文化」が衝撃で、お尻を叩かれる仲間を見て「オーマイガー!」と思っていた