ク・ハラの日記が公開される
故ク・ハラさんが記していた、日記が公開され話題になっています。
日記はデビューした頃から、亡くなる直前まで何冊にもわたり書き続けられたもので、その時々の心境が記されていることが明らかになりました。
23日、JTBC「イ・ギュヨンのスポットライト」では、この日記の内容と共に、ほぼ亡くなるまで会うこともなく、でも亡くなった後、突然に葬儀場に現れ、遺産相続権だけを主張し、実兄を含め、世間から非難されている産みの母親へのインタビューなどを報じました。
ハラの日記を読んだ専門家によると
「パパ(아빠)のことは「パパ」と呼んでいるが、母親については、名前で呼んでいる。」
として、ク・ハラにとっての両親との距離感がよく表されていると、語りました。
また、日記に登場する「母親」という存在について
「母親に会いたい」という表現については、「母親は生物学的な母親ではなく、全ての人に憩いの場、癒しの場所としてイメージする場所で、実母である可能性もあるが、実母でなくても、私たちがよく考える「憩いの場」としての、母親のイメージがより強かったのかも知れない。
「私は大変で、慰められたい、疲れた。」このようなメッセージ性を意味している可能性が高い。
また、「私が愛されても大丈夫な人なのだろうか」という表現もあり、自身が十分に愛されるべき価値がない人だと表現されていて、これは「無条件に愛されたことがない人」によく表れる感情だ。
と、ク・ハラの心情を分析しています。
実母がク・ハラとの良好関係主張
この日、初めてメディアインタビューに応じた、実母は
記者からたくさん連絡が来たが、これまで受けなかった。私たち(ハラも含め)は、それを望まないだろう。
<子供を捨てた酷い親という批判について>
どこの親が「子供を育てたくない」なんて思うだろうか?でも、私にも事情があって、仕事もなく、カバン1つで家を出たから、自分で育てたかったが、育てられない状況だった、育てられなかっただけ。
私が「浮気をして家を出た」という話は、ウソだ。当時、夫がナイフを持ってきて、私を殺すぞ!と脅迫するほど、暴力的だったから(家を出た)
最後に、数年前、ハラの方から私を訪ねてきた。「母親を求めていた」だから、 突然(葬儀の席に)私が現れ、お金を要求したのではない、金額すら知らない。
「一緒に旅行もして、美味しいものもたくさん食べようね」と言っていた。