防弾少年団(BTS)のメンバーが集まり、デビューするまでの過程まとめ
1人目:RM(ラップモンスター)
全国模試で上位1%に入るほどの成績優秀な学生だった。母親からも将来は自宅から近い、有名大「延世大学」に行くことを期待されていたほど。
しかし、中学頃からラップに目覚め「僕が勉強にいくら優れていても、全国5000位ぐらい、でもラップでは1位になる。1等の息子がいいですか?5000位になった息子がいいですか?」と、将来ラッパーとして成功する熱意と自信を語り、母を説得する。
本人の強い説得もあり、徐々に親の進路希望も変化
親の進路希望欄「医師、弁護士 → アナリスト → ラッパー(息子の熱意が通じる)」
その後、UntouchableのメンバーSleepyが、まだ高校生だったRMと出会い、知り合いだったパン・シヒョク氏が代表を務めるBigHitエンターテイメントを紹介する。RMに最初に会い、彼のラップを聞いたパン・シヒョク氏は「この子は必ずデビューさせなければならない」という使命感を感じた。
ここから、RMを中心とした「防弾少年団」というチーム作りが開始される。
2人目:SUGA(シュガ)
小学校の頃から楽曲制作を始め、既に地元の大邱ではヒップホップクルーとして制作にも携わり、プロデューサーもこなしていた。
BigHitエンターテイメント主催の公開オーディションに参加、当時、課題として与えられたビートに唯一、参加者の中でアレンジしたものを披露し、見事合格。このことから、SUGA本人は「プロデューサー」として合格したと思っていたが、代表のパン・シヒョク氏に「1TYM(ワンタイム:YGエンターテイメント所属のヒップホップグループ)のようなチームを作りたい、 踊りはほどほどでいい」 と言われ、練習生になった(後に騙された!と思うほど踊らされる)
BigHitエンターテイメントの練習生になったものの、むしろ周りからは応援どころか「音楽は家族が壊れる」など反対されたため、生活のため(会社に黙って)、練習生をしながら配達のアルバイトなどもしていた。その際、バイクで交通事故を起こし、肩を負傷する。
周りからの反対や、生活が苦しいことを会社に言うと、クビになると思い黙っていたものの、事故後「なぜもっと早く話さなかったのか!」とむしろ怒られ、学費などの支援をBigHitがしてくれることに。
3人目:J-HOPE
正確には、SUGAより先にBigHitに入っていたものの、地元の光州で委託教育を受けていたため、少し遅れてソウルへ、なので「防弾少年団」として選ばれた順番でいうとSUGAより後になる。
元々、BigHitにキャスティングされる前から、地元で有名なダンス少年で、初期段階にラップチーム「防弾少年団」として活動していた頃は、「あのチョン・ホソクがいるグループ」と言われるほど、デビュー前から名前が知られていた存在。
通っていたダンススクールで、BigHitのオーディションが開催された。オーディションの形式は、スクール内にカメラを設置し、参加者の自由な姿を見るという趣旨だったが、J-HOPEだけ2~3時間設置されていたカメラの前で、ずっと踊り続けていたことで話題に、そして合格。
しかし、J-HOPEは練習生の時、BigHitを辞めることに・・・仲間たちが必死に泣きながら「ホソクは居なくてはダメ」と口説き落としたことで、仲間たちの言葉を信じ、再び練習生に戻っている。
「防弾少年団」のコンセプトが徐々に変更されていく
4人目:JIN(ジン)
「防弾少年団」の主軸となる、ラッパーメンバーが決まり、いよいよグループの方向性も「1TYM」のようなコンセプトで進めようとしたところ、これまでの練習生とはタイプの違うメンバーが加わる。
JINは、アイドル練習生としては、かなり遅い年齢で練習生となっている。ドラマを見て、俳優を目指そうと、建国大学の演劇映画科に進学していた。
JINは大学への通学途中、BigHit関係者から路上でスカウトされている(ちなみに、他の芸能事務所からもスカウトされていた、SMなど)。俳優を目指そうと思っていたが、BigHitの練習生になってからは、歌手としての夢を持つようになった。アイドル練習生になるまでは、歌すら歌ったことも無かったため、発声から変える練習を始めたほど。練習生当時のボーカルトレーナーの先生いわく「一番記憶に残っている教え子」と、多くの努力をしていた姿が語られている。
5人目:ジョングク
中学校2年生の時、Mnetのオーディション番組「スーパースターK」の予選に参加、落選はしたものの、その時に7つの芸能事務所から名刺をもらう(JYP、STARSHIP、CUBE、FNC、Woollim、TS、そしてBigHit)
当時、人気歌手たちが多く所属していた、他の芸能事務所とは違い、もらった名刺の中では1番、BigHitが無名だったが、既に練習生として活動していた、RMがカッコ良かったことを理由に、BigHitを選ぶ。
ジョングクは持ち前の運動神経の良さなどもあり、すぐに練習生の中で頭角をあらわす。ダンスの先生と共に、1ヶ月間のアメリカダンス研修などにも選ばれるが、この経験がむしろ刺激となり、一時期は歌手よりダンサーを本気で目指すようになったことも。
※このジョングクの気持ちをアイスクリームを食べながら、歌手を続けるよう、必死で引き留めたのはジミン。
6人目:V
歌手になりたいなら「楽器が1つぐらい出来なければ」と、父に言われ、サックスを学ぶ。
まだ両親の許可を得ていない頃、たまたま地元の大邱でオーディションが開催されることになり、参加する友達に付き添って会場へ。しかし、担当者からの提案で、急遽、オーディションを自身も受けることになり、その時のオーディションで唯一の合格者となる。
デビューが確定すると、ビジュアルメンバーとして、防弾少年団の「秘密兵器」扱いとなる。既にデビュー前から公開されていた、SNSや広報などに、他メンバーは顔がどんどん掲載されていったが、デビュー直前までずっとVだけ非公開メンバーだった。デビューするまでは、撮影など、カメラに映ってはいけない存在だったため、常に隅っこで自分だけ隠れていなければならず、悲しい思いをしている。
7人目:ジミン
地元でストリートダンスで有名だったのがJ-HOPEなら、舞踊界で既に才能が知られていたのがジミン。芸術学校にも首席で入学している。1年生の時から海外研修に校内選抜に選ばれていたほどの存在で、ダンスの実力者が揃った「舞踊科」内でも1位、2位の成績だった。
芸術高校入学後、家庭の経済状況から、通っていたダンススクールを辞めることを決めるも、先生から「授業料は払わなくていい」と言われるほど、期待されていた、その後、すぐにBigHitのオーディションに合格し、練習生となる。
ジミンがBigHitのオーディションに合格した頃、既に「防弾少年団」はデビュー最終段階に突入しており、他メンバーは1~2年の練習生生活を経ていたことに加え、グループ内の重要ポジション(メインボーカル、メインダンサー、メインラッパー)も揃っていたことから、ジミンのグループ合流についてはギリギリまで決まらなかった。
ジミンはそれでも寝る間も惜しんで練習に励み、「努力家」であることを証明し、認められたことで、正式に「防弾少年団」のメンバーに決定している。