ジミンの母校の校誌に父と先生のインタビュー掲載
ジミンの母校として知られる、芸術高校「釜山芸術高等学校」の校誌に実父と舞踊の先生のインタビューが掲載されました。
<舞踊から音楽への転換を可能にしたジミン君の幼い頃の話を聞かせて下さい>
ジミンのお父さん
釜山芸術高校に進学することになった背景から話しますと、中学3年生の時に学校で自分の未来を紹介する文章を書く時間があった、と言って文章を書いてきました。そこには「釜山芸術高等学校に進学して、舞踊を学び、それを土台にもともと関心があった音楽と融合させた歌手や芸能人になる」という、非常に具体的な文章を書いて見せてくれたのがきっかけです。
もちろん、幼い頃からダンスも上手で、歌も上手でした。ジミンが小学5年生の時、家族でカラオケに行くとマヤの「つつじの花」を歌ったんですが、高音パートをとても上手に歌いました。
でも実は私は、ジミンは数学や科学が得意だったので、科学高校に進学してずっと勉強することを望んでいたんですが、だからといって、ジミンの意思に対して反対はしませんでした。
自分の将来に対する書き込みがとても完璧なものだったので(笑)反対せず、本人の意見を尊重しました。ジミンは幼い頃から大人びた子だったから、反対するよりも、自分の意見通りにしなさい、と許し、親として早くから子供の素質を知っていたというべきでしょう。
舞踊の先生は「才能がもったいない」とアイドルになるのを反対
<当時、ジミン君の才能がもったいなくて反対したそうですが?>
イ・ファソン先生
ジミンは入学の時から現代舞踊がとても上手で、多方面でダンスの素質がありました。そんな子が純粋な舞踊ではなく、大衆舞踊を選択するとした時、惜しい人材を失うという考えと、また、ダンス歌手の道は狭く、成功が簡単に保障されていないという現実的な状況を見なければならず、なので反対しました。
まさかこんなに成功するとは思いませんでしたが。とにかくジミンは、すべてのことに最善を尽くす子だったし、防弾少年団でも 絶えず努力した結果、その場所にいるんだと思います。